ボランティアもしつつ、パレードの時間にはしっかりと時間をいただき、ゲイの教員のグループの一団でパレードを歩かせてもらいました。
生まれて初めてパレードを歩いたのは1994年。
セクシュアルマイノリティの当事者として生きていくことに対する不安も尽きなかった17歳だった私も気づけば33歳になりました。
高校生だった当時と比べれば、歩くときに感じるその感激は年々低減しているなぁということも正直感じています。
しかし、苦労を重ねながら準備を行なってフロートを出された学生フロートの様子や、初めてパレードを歩いてうれしそうな笑顔の人の顔を見ると、「次世代のセクシュアルマイノリティの子どもたちの中で、パレードでエンパワメントされる子どもが一人でも、二人でもいるのであれば、今後も参加をしていきたいな」と感じさせられました。
主催団体や名前も変わり、幾度の休止・中止を乗り越えてきたパレード。
セクシュアルマイノリティの状況も、社会の状況もこの間大きく変動をしてきました。
「みんなでパレード」という言葉があります。
同じパレードを歩いているとはいっても、2000人を超える参加者が全て一致団結しているというわけではないでしょう。共有できない思いを持つ人同士もいれば、仲が悪い人、気が合わない人同士もいるかも知れません。
そして、一緒には参加できない、あるいは趣旨に反対して歩かないという選択をする人もいるのだと思います。
パレードに関わらず、セクシュアルマイノリティの行うイベントや活動あるいは一人ひとりの言動の一つ一つが社会においてプラスの影響をもたらすのかマイナスの影響をもたらすのか
それはあとになってみないと分からない部分が多々あるのだと思います。
でも、この16年間の足し算、引き算をした結果は、プラスの方向に物事は動いているのだと私は感じています。
パレードを歩く様子
思いをプラカードに書いて参加をされる方もいます
レインボーフラッグを手に、沿道で応援してくれる方
歩道橋の上から声援を送ってくださる方もいます